「本が好き」から「人が好き」へ
札幌で育った幼いころからマンガと本が大好きで、編集者になりたいなとは高校生くらいからぼんやりと思っていました。国内も海外の作品も雑多になんでも読みましたが、純文学では特に金井美恵子さん、川上弘美さん、奥泉光さん、深沢七郎や山田風太郎、河野多恵子が好きでした。ミステリーも好きで、大学でミステリー研究会に入ったり、映画や演劇も好きで、名画座に行ったり小劇場に行ったり、漫画喫茶に泊まったりする、典型的な「ザ・文系大学生」でしたね。
大学で東京に出てきてから変わったのが、「小説」から「人」への興味をもつようになったこと。作家のトークショーやイベントに参加する機会が増えて「作家さんの頭の中ってどうなっているんだろう?」「日々なにを考えて小説を書いているのかな?」という、小説を書く「人」そのものへの興味が大きくなっていった気がします。この人たちと話してみたいと思ったのが、文藝編集者を志望したきっかけです。
文藝誌も、作家のインタビューや対談への興味から読みはじめました。なかでも当時の「文學界」は、現代アートや思想など、文学を含むさまざまな特集があって自由な感じだなと思い、志望しました。
週刊誌記者という経験
実は、新人のときの配属は「週刊文春」、しかも特集班という、記者として取材をする部門でした。秋葉原無差別殺傷事件の現場に駆けつけたり、大臣を直撃したり、いっぽうで「コムスメ記者がいく」という体験ルポで、閉店間際の大阪の食い倒れビルでほんとうに食い倒れたりと、硬軟さまざまな取材がありました。大変でなかったといえばウソになりますし、仕事終わりに飲み食いしたおかげで8キロ太りました(笑)。
私はたいして使えない記者のままだったんですが、でも最初が週刊誌でよかったなと思います。ちょっと世間からズレた「ザ・文系大学生」から、いったん“戦場”に送り込まれて、社会を知ったんですよね。フットワーク軽く、初対面の人にあまりものおじせず話せるようになりましたし、記者はみんな執念ぶかいので、断られてもあきらめない姿勢が自然に身についたのではないかと。
そもそも、週刊誌記者になるなんて、日本の同世代全員をみわたしても稀なことです。そんな「誰もしていない経験をすること」じたいに価値があると思います。自分の興味ある狭い世界だけではなく、興味のない世界も短期間に一気に知ることができ、資料集めや取材をするスキルは、小説の世界でもとても役にたっています。作家の方と話すときも、記者時代のエピソードや、さまざまな人を見て考えたことが力になっているように思います。
もし最初から文藝部門にいたら、いまのような仕事はできていなかったかもしれません。週刊誌記者というとギョッとする人もいるかもしれませんが、思いきって新しい景色に飛び込んでみてほしいです。
「読者」と「編集者」の違いとは
念願の文藝編集者になってみたら、読者として小説を読むのと、編集者として仕事で読むのとでは大きなギャップがありました。感想を伝えるのも試されているような気持ちになるし、ましてや、小説に意見するなんて恐れ多かった。小説には“正解”がないから、先輩編集者の仕事ぶりから学んでも、すべてを真似することはできません。
自分は編集者としては言葉がうまくないという自覚もあって、悩みました。考えていることを的確な言葉にできず、今もコンプレックスがあります。でも結局、作品は作家のものであって、編集者がどんな意見を言おうとも、直すも直さないも作家の自由。私は、読者にどう読まれるかを伝え、作家の可能性を引き出す、壁打ちの壁みたいな存在なんだと思ってから、へんに気負いすぎずに話せるようになりました。
作家の方と食事やお酒をご一緒したり、旅行にいくこともあります。そのなかで、政治や社会状況から、私自身の内面やプライベートなことまでお話しすることも。作家は作品を通して自分のおなかの中まで見せてくれているので、自然とこちらも深いところまで開示してしまいます。それが原稿をはさんでやりとりをするときの、信頼の土台になるようにも思います。作家という「人」への興味から編集者になった私には、とても楽しい時間です。
たとえば村田沙耶香さんとは、担当になる前に知り合い、村田さんの作品もお人柄も好きで、色々な場所にご一緒するようになりました。2016年に芥川賞を受賞した『コンビニ人間』は、私が「文學界」編集部での担当でしたが、それまでの時間の積み重ねがあって、良いタイミングで原稿をいただけたのでとても嬉しかったです。
「ギフテッド」「グレイスレス」と「文學界」で二作書いていただいた鈴木涼美さんは、『「AV女優」の社会学』を出版された2013年に依頼してから、9年越しに小説をいただきました。長い時間を経ていただけに感慨もひとしおでした。でも二作とも書き始めてからは一気に完成し、いい作品ができるのに時間は関係ないと、あらためて思いました。
なぜ芸能人に本を書いてもらうのか
担当しているのは作家専業の方のほうが多いのですが、オードリー若林正恭さん『ナナメの夕暮れ』、イモトアヤコさん『棚からつぶ貝』や、EXIT兼近大樹さん『むき出し』、俳優の松尾諭さん『拾われた男』など、文学の世界以外の方にも書いていただくことがあります。
芸能界の方に本を書いてもらうのは、ファン向けなの? と聞かれることもありますが、そうではないんです。「まだ読んだことのないものを読んでみたい」という私の勝手な欲望が、モチベーションになっています。
多くの人が体験していないことをされている方が、どんな風に世界を見て、何を考えているのか。それを言葉にしてほしい。書きませんか、とオファーすることもありますが、その方が書きたいと思っているタイミングで偶然お会いすることも多いです。小説を、最後まで書き上げられる人はそんなに多くありません。「いまなら書ける」というタイミングにそばにいることが、編集者のひとつの醍醐味だと思うので、その種まきを日々しています。
若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』、松尾諭さんの『拾われた男』は映像化にも恵まれました。本を読んでくださった方はどう映像化されるか期待があると思いますし、ドラマを見てから原作を手に取り、どう書かれているのかと読んでいただくのも楽しみです。こうした、ジャンルを超えた行き来があるのも本の面白いところだと思います。
もっと自由に
「文學界」は毎号特集がある文芸誌なので、小説以外のジャンルレスな試みも自由にできるのが面白いところです。「笑ってはいけない?」では笑いをテーマに、芸人さんや漫画家さんにも寄稿していただきました。「声と文学」は文字ではない音としての言葉に焦点をあて、筒井康隆さんの朗読をサンプリングした曲をヒップホップトリオのDos Monosさんが制作。「無駄を生きる」では、“無駄づくり”の藤原麻里菜さんに、作家が考えた“無駄マシーン”を制作してもらったんですよ。
2023年9月号「エッセイが読みたい」では、さまざまなジャンルの23名の方に「エッセイについてのエッセイ」を書いていただいたので、文芸誌なんて縁遠いと思う人にも、ぜひ読んでみてほしいです。
企画者の興味が強く出るので、短歌が好きな編集者がつくった短歌特集、ギターが好きな編集者がつくったギター特集など、それぞれ幅広く自分の好みをぶつけていますね。
小説においても、その作品が好きな人が手を挙げて担当になることが多く、それぞれの編集者の興味の集合体が「文學界」という雑誌を形作っていると感じます。
文藝編集者になりたい人は、たくさん本を読んで、いろんな人やものに触れて、自分が何を好きなのか言語化してみるのもいいと思います。そしてこの世に、「まだ誰も読んだことがない小説」をたくさん生み出してほしいです。