「私は頼まれて物を云うことに飽いた。自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼ねなしに、自由な心持ちで云って見たい」。菊池寛は100年前、こうかかげて「文藝春秋」を創刊しました。20~30代の若者が中心の、わずか28ページのリトルマガジンで、会社もまたベンチャー企業でした。
菊池寛は大流行作家であると同時に、「編集力」のある天才編集者でもありました。和服の帯がほどけかけたまま社内を闊歩しているような変人だったそうですが、いっぽうで、合理精神とリアリズムの人でもありました。若い時からお金に苦労して学校も中退を繰り返し、記者をしながら人気作家になった。高邁な理想だけでは食べていけないと熟知していた菊池は、タブーを恐れない、日本的な人間関係にからめとられない雑誌づくりをしたのです。
この出発点は、100年後の今なお、私たちの編集スピリットに大きな影響を与えています。
そのひとつの象徴が「文藝春秋」1974年11月号の「田中角栄研究」です。国民的人気があった戦後最年少総理大臣の金脈と人脈を描き出した、この特集がきっかけで田中首相は辞任しますが、当時の編集長は「正義感からではなく好奇心から発した企画である」と書いています。このジャーナリズム精神=面白がり精神こそが、私たちの「編集力」の源泉です。
ちなみにこの記事は、外国人記者クラブで田中首相が質問を浴びたことではじめて火がつきました。昨今のジャニー喜多川氏の性虐待問題も同じ構造で、「週刊文春」が1999年から報じてきたことを、BBCの放送があってようやく日本中のメディアが報道するようになりました。
紙だけでなく電子へと出版の状況がうつりかわっても、日本のメディア構造はかわらない。だからこそ文藝春秋の「編集力」の役割があると考え、デジタル化時代のジャーナリズムの在り方を模索しつづけています。「文春オンライン」は月間6億PVを超えて飛躍的に成長しており、「文藝春秋 電子版」「週刊文春 電子版」「NumberPREMIER」など有料サブスクリプションモデルも次々に発進しています。
もうひとつの「編集力」の源泉は、文芸とジャーナリズムの強力な二本柱です。「文芸的人間観に裏付けられたジャーナリズム」「ノンフィクション的情報に支えられた文芸」、どちらも文藝春秋という社名どおり、切っても切り離せないものです。
たとえば芥川賞を受賞された市川沙央さんの『ハンチバック』、又吉直樹さんの『火花』、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』。直木賞では万城目学さんの『八月の御所グラウンド』や馳星周さんの『少年と犬』など、すぐれた作品にはつねに社会の本質を映し出す視線があります。
そうした作品を多角的に世に送り出すうえで、映像化は大きなチャンスです。『ドライブ・マイ・カー』『陰陽師』『本心』『沈黙のパレード』「八咫烏シリーズ」など、ヒット作も枚挙にいとまがありません。
「コミック」にも力をいれています。『竜馬がゆく』『そして、バトンは渡された』など名作やベストセラー小説のコミカライズ、宗教2世を扱った『「神様」のいる家で育ちました』などオリジナル漫画の刊行もどんどん増えています。
文藝春秋が、価値あるコンテンツを創造し続ける会社であるためのビジョンは、「編集力」です。編集者だけではなく、営業局も、宣伝プロモーション部も、メディア事業局も、ライツビジネス部も映像メディア部も、すべての部署が「編集力」を発揮できるようでありたいと、日々おおいに奮闘し、試行錯誤をくりかえしています。
考えてみれば会社とは不思議な「場所」です。22歳の新入社員から私のような60代の人間までもが集まって、知恵やアイデアを出し合い、意見を言い合い、ときには喧嘩をしながら、生活の糧をともにしている。しかも文藝春秋の場合、その源泉は「編集力」というのですから、よく100年もったものですし、だから100年続いたのかもしれません。
世の中に仕事は数えきれないほどありますが、私はいまだ編集の仕事は魅力あるものと信じています。「文春って面白そうな会社だな」と思った若いみなさんが、次の100年に、新しい「編集力」の担い手として参加してくれるのを待っています。
代表取締役社長 飯窪成幸